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南北朝時代の武将赤松氏家臣の城跡
阪急神戸線の御影駅の北側改札口を出て、線路沿いに西側へ進んだところにある御影北小学校が平野城の城跡推定地とされます。
御影駅の北側すぐのところにある深田池は平野城の堀の一つとして活躍した名残とも伝わりますが、
この城の詳細はあまりわかってないようです。
観応年間(1350~52)に、南北朝の武将・赤松則村(別称・円心※後醍醐天皇方に当初はつくも、
晩年は足利尊氏方の武将として活躍した室町幕府下の守護大名)の家臣、平野忠勝の居城だったと伝わります。
平野城があったとされる時代は、足利幕府初期の頃の内紛である「観応の擾乱」の時代。
平野氏はこの戦いに敗れ、その後この城がどんな運命を辿っていったのかは歴史の闇に眠ったままのようです。
さて、現在の城跡推定地ですが、とにかく斜度の強い坂道の途中に小学校は建設されており、
北側の墓地をグルっと一周してみましたが、往時は完全な山城として活躍してことが想像でききる場所です。
また西側には谷と言える様な高さのある、川が流れここが軍事戦略上、重要なポイントであったことが即座に理解できる場所です。
ただ、残念ながら遺構はありませんが、冒頭に触れた深田池の北側の出入り口にある案内板には、
この平野城についても多少触れられているので、合わせて訪問したいスポットですね。
辺りは静かな住宅街で特に観光スポットが他にあるわけではありませんが、いわゆる「エキチカ」で、
大阪梅田方面、神戸三宮方面両方からアクセスしやすい場所ですので、近隣の他の城跡とまとめて訪問したい城跡です。
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